永平寺シンポジウム:原発を選ばないという生き方
なにかヒントがあるような気がして、福井へ出かけた。
11月2日、
福井で永平寺主催のシンポジウム
「いのちを慈しむ〜原発を選ばない生き方〜」が開催され、
このニュースを知ったとき、これはとてもすごいことだと思った。
福井は原発のメッカであり、そこに本山を置く、曹洞宗の永平寺が手を挙げたからだ。
始まりは、福井にある『もんじゅ』、『ふげん』の名付け親が永平寺であったため。
今の世の中の事態から、永平寺のお坊さんたちは深く後悔し、負の遺産を後世に残して行かないために、新しい生き方の発見をと投げかけた。
永平寺に行くのはきっとこれが始めて。
電車を乗り継ぎ、鉄道に揺られ
バスに揺られ、曹洞宗の本山
永平寺を訪れた。
山の麓にある永平寺は、
長く太くすらっとした木々に覆われ、
それはそれは空気が澄んでいるところだった。
なんだろう。
観光客と、僧侶とが入り交じっていても、ふっと横を通る僧侶は修行中の僧侶で、
今私が住んでいる現実の世界と、また見たこともない非現実的な世界が一緒に共存していて、まるで、とてもとても昔の世界を見ているかのようだった。
門をくぐるとすぐ右手に如来像かな、とても綺麗なコケの上に優しい顔をした如来様がいた。
そこの景色は足がかってに止まるくらい、何度見つめても息をのむ美しさ。
まるで子どもが母親のお腹の中にいるような温かく微笑ましい空気に満ちていた。
永平寺の天井絵。
祖父はこれを再現したかったんだね。
永平寺は、脱原発を掲げるものではなく、福島の酪農家さんの真実を聞き、原発運動をされているお坊さんのお話を聞き、聴く側に問いかけ、1人1人が落ち着いて事態を見つめ、最初の一歩を間違えないように、新しい生き方の発見を問題提起するものであった。
大切なのは、どう生きるか。
どう人のため、未来のためにつくせるか。
『少欲知足』
欲の心を持たず、満足する心をもつ。
11月2日、
福井で永平寺主催のシンポジウム
「いのちを慈しむ〜原発を選ばない生き方〜」が開催され、
このニュースを知ったとき、これはとてもすごいことだと思った。
福井は原発のメッカであり、そこに本山を置く、曹洞宗の永平寺が手を挙げたからだ。
始まりは、福井にある『もんじゅ』、『ふげん』の名付け親が永平寺であったため。
今の世の中の事態から、永平寺のお坊さんたちは深く後悔し、負の遺産を後世に残して行かないために、新しい生き方の発見をと投げかけた。
永平寺に行くのはきっとこれが始めて。
電車を乗り継ぎ、鉄道に揺られ
バスに揺られ、曹洞宗の本山
永平寺を訪れた。
山の麓にある永平寺は、
長く太くすらっとした木々に覆われ、
それはそれは空気が澄んでいるところだった。
なんだろう。
観光客と、僧侶とが入り交じっていても、ふっと横を通る僧侶は修行中の僧侶で、
今私が住んでいる現実の世界と、また見たこともない非現実的な世界が一緒に共存していて、まるで、とてもとても昔の世界を見ているかのようだった。
門をくぐるとすぐ右手に如来像かな、とても綺麗なコケの上に優しい顔をした如来様がいた。
そこの景色は足がかってに止まるくらい、何度見つめても息をのむ美しさ。
まるで子どもが母親のお腹の中にいるような温かく微笑ましい空気に満ちていた。
永平寺の天井絵。
祖父はこれを再現したかったんだね。
永平寺は、脱原発を掲げるものではなく、福島の酪農家さんの真実を聞き、原発運動をされているお坊さんのお話を聞き、聴く側に問いかけ、1人1人が落ち着いて事態を見つめ、最初の一歩を間違えないように、新しい生き方の発見を問題提起するものであった。
大切なのは、どう生きるか。
どう人のため、未来のためにつくせるか。
『少欲知足』
欲の心を持たず、満足する心をもつ。
一切の生きとし生けるものよ、
幸福(しあわせ)であれ、
安泰であれ、
安楽であれ。
Open my heat...
Good night.
Buenas noches.
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