可睡斎の日々 vol.1

 林陽寺報さくら に掲載してもらった文章です。こちらでも残していきます。

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修行から帰ってきてもうすぐ3ヶ月が経とうとしています。先日、ちょうど今ぐらいにやっと師寮寺(自分にとっての師匠がいるお寺)に手紙を一通書くことができた時の手紙を見させてもらい、一年前の記憶が蘇ってきました。今回、住職から修行寺での体験を書くというお題を頂きましたので、何回かに分けて皆さんに私がどんな体験をしてきたかをお伝えさせていただこうかと思います。

 

去年の4月8日、ちょうどお釈迦様のお誕生日の日に満月に照らされながら、桜の木の下で断髪式をしました。途中で母がゆきちゃんごめんね、なんていいながら切るので覚悟はしていましたが泣いてしまいました。4月10日、静岡の袋井市にある曹洞宗秋葉総本殿可睡斎に上山をしました。可睡斎は、徳川家康の故事によりその名が付き、秋葉の火防霊場として全国津々浦々に信仰を集める禅道場です。地方の僧堂としては大きく、女性や海外の方にも門を開いているお寺です。そして、袋井市の観光寺院としての顔を持つお寺である為、一年中四季折々のイベントと多くの観光客が訪れる場所です。私がこの度、可睡斎を選んだ理由は、こういった現代的な開かれたお寺での経験をしてみたいと思ったからです。

 

上山日、丸坊主になった私は、綱代笠(あじろがさ)を被り、袈裟行季(けさごうり)をかけ、着物、衣を膝までたくし上げ、足首に脚絆に草鞋を履き、座蒲を持った、まさに雲水姿で木版を三打鳴らしました。山に響くような大声で「御開山拝登、並びに免掛塔宜しゅう」と修行道場に入る為の言葉を言い続けます。途中で何か言われても怯まずに言い続けるのです。泣きそうになりましたが。係の方が出てくるまでかなりの時間を待たされ、ようやく出てきた僧に、「何をしに来た?」と問われ、「修行をしに参りました!」と応えると、「修行はここでなくとも師寮寺でもできるだろう、さっさと帰れ!」と突き放されます。それをなんとか食い下がって入門を請うのです。これが第一の関門です。ようやく山内に入ると旦過寮(たんがりょう)で三日間、朝から晩まで坐を組み、生活の基本をみっちり叩き込まれます。これが第二の関門です。同日に上山したのは三名で、私は女性一人でしたので別の部屋で過ごすのですが、携帯はもはやありませんし、時間もわからないので、何時に起きているのかもその時はわかりませんでしたし、寝床が他の寮から遠かった為、二日目の夜が大嵐で夜中に寝床の襖が風で飛んでいってしまい、怖いし、誰も来てくれないし、何時かもわからないので、旦過寮中はほとんど寝た気がしませんでした。記憶に残る洗礼を二日目にして受けました。

 

三日目の朝に入寺式があり、ようやくここで雲水として認められます。ここから衆寮に入り、修行での生活が始まるのです。修行中のことを安居(あんご)と言いますが、雲水が安居中に覚えることは、朝課の配役、御神殿での祈祷配役、法事、そしてお寺に関わること全てを生活の中から学びます。

 

僧堂の一日は、朝4時に起き、5時振鈴、45分座禅、6時朝課、7時に応量器を使った小食(粥の朝食)、8時掃除、9時から各衆寮での仕事が始まります。最初はもっぱら、御祈祷、日中のお経、お昼の準備に作務が午後まで続き、薬石(夕飯)後の19時から慣らしをして配役の勉強をし、21時就寝です。全く休む暇はなく、動きっぱなしです。最初は正座をし続けるのにも慣れず、お拝も多いので太腿から足首がパンパンになります。朝から失敗しないように集中をするので、朝から滝のような汗をかきます。

 

そんなこんなで始まった安居生活。次回は、どんな配役があるのかからお話を始めます。しばらく続きますので、お付き合いいただけましたら幸いです。

 

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