修行の日々での気づき Vol.2
僧堂の一日は、朝4時起床、5時振鈴、45分坐禅、6時朝課、7時に応量器を使った小食(しょうじき、粥の朝食)、8時掃除、9時から各衆寮で仕事が始まります。最初はもっぱら、御祈祷、日中のお勤め、中食(ちゅうじき、お昼ご飯)の準備に山内作務が午後まで続き、薬石(やくせき、夕飯)後の19時から慣らしをして配役の勉強をし、21時就寝です。休む暇はなく、動きっぱなしです。最初は正座をし続けるのにも慣れず、お拝も多いので太腿から足首がパンパンになります。失敗しないように集中をするので、朝から滝のような汗をかきます。
配役は法要を行う為にお坊さんが覚えるべき役であり、言わば必須科目のようなものです。ここでは鐘司加番(僧堂で鐘と太鼓を鳴らす)役から始まり、鐘司(全ての窓開け、坐禅中の鐘に太鼓鳴らし、夕方の鐘、鍵閉め、21時就寝前の鐘と太鼓と言わば時計の役をするので3時30分起床で一番ハード)、粥当番(朝の粥作り、仏様のお膳や浴司入れ)、浄人(応量器の配膳役)、待香(主にお勤めの導師についてお香を出したり、お付きをする役)、供頭(お勤めの時に回向本を出す見た目華やかな役)、副堂(お勤めの木魚役)、堂行(お勤めの鐘役)、挙経(お勤めを声でリードしていく)その後に御神殿の2役があり祈祷太鼓が最後です。早いと5ヶ月で終了していきますが、私は7ヶ月かかりました。その間一切の外出は認められません。
一番大変だったことは、常に緊張状態が続いていたことです。少しのミスが他の配役のミスにも繋がっていくので、頭の中は常に自分の目の前のことと次の事までしか考えられず、その繰り返しをミスが出ないように集中します。それでもミスがあると蹴散らしといって、強く注意を受けるので、その間は合掌して肘を全開に張り、はいといいえだけで応えます。
配役の仕事はいわれたことをいわれた通りにしなくてはなりません。いかにその通りにすることの難しさを知りました。型にはめて体で体得していくわけですが、どこかで自分の価値観や私情を挟んでしまうと、どうしてもその場にいることが苦痛になってしまいます。
ある時、毎日同じ事、同じ人、同じ環境というのに疲れてきていた時、私はちょっと怖いと思う方を避けている時がありました。怖いし、何か言われるのも嫌だから、できるだけその人の視覚に入らないようにしていたら、同僚のキューバ人がそれを察知し、
「逃げるな、逃げれば同じことがまた繰り返されるだけだから、お前はそのままでいたらいい。」
と言いました。私は渋々分かったと言って、深呼吸をして落ち着くようにしていたら、状況は緩やかに変わり、その苦痛が消えていったのです。自我が大きいと苦も大きくなるということを知りました。
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