学べる 楽しめる 心の寄り所になる

「お母さん、お寺って何を目標にしてったらいいんやろうね。」

ずいぶん前のある晩、私は母親になんとなく聞いたんだ。

そしたら母親は、

「学べて、楽しめて、心の寄り所になる。」

こう答えた。

『イオンが葬儀業へ本格的に乗り出した』

こんな記事を今日読んだ。

新たなサービスの陰には必ず消費者のニーズがある。
この騒動の背後には寺に対する檀信徒の不信感と国民の「寺離れ」がある。
型どおりの経をあげてくれればお坊さんは誰でもいい。

信教の自由が国民にある以上、国民の「寺離れ」を強制的に食い止めることはできない。

唯一の救いは、進んでいるのは「寺離れ」であって「仏教離れ」ではない点。

国宝阿修羅展が盛況を極め、四国八十八カ所巡りが根強い人気を保っていることは仏教が国民に深く根強いている証拠。

”こだわりを捨てよ”
”欲少なくして足すを知る”
仏教の基本的思想は、競争心を煽る現代社会において、傷ついた人の心を癒し、絶望の淵をから人間を救う力を持っている。

寺にとって葬儀だけが布教活動ではないのだ。

以上、私がマーカーで真っ赤に染めた箇所。



考えさせられました。

私には勉強することがまだまだ沢山ありすぎてわからないことばかりだけど、

イチ、ココに生まれた人間として、

ただ
ただ

考えます。

コメント

  1. 阿修羅像、去年の今頃に奈良まで観に行きました。その時興福寺の黒板に「欲望を捨てよ 悟りの道は拡大する  法華経」とありました。

    個人の欲望をあおって経済を富ませようとする競争社会と、こうした仏教の教えは矛盾しますね。 「和魂洋才」のつもりでごまかしきれなかったものが社会のひずみとして日本のあちこちで噴出しているように感じます。 うわっつらの「日本文化論」じゃ救えない危機の解決を仏教の教えに見いだせないか、と僕も思います。 そのためには自分の下劣さ、欲望とも向き合わねばならない、と。

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  2. こんにちは。ちょくちょく拝見しています。

    >唯一の救いは、進んでいるのは「寺離れ」であって「仏>教離れ」ではない点。
    >寺にとって葬儀だけが布教活動ではないのだ。

    だとしたら、お寺さんが私たちに仏教を伝えることから少し離れてしまっているのでは?
    お寺さん=葬儀だけという概念が出来てしまっているとしたら、そう感じさせる原因があるのでは?

    直接相対して、仏法を伝えて行くしかないと感じました。

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  3. ゴローさん>
    ゴローちゃんは私の後輩なのに、しっかりとした意見を持ってるね。尊敬よ。そうね、矛盾しているところ、いつも悩むところよ。
    日々考えながら何か変わっていくのかな。と思ったよ。
    問題を受け止めることからなのかな。

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  4. れんげさん>
    コメントありがとうございました。
    はい、その通りですね。
    直接相対して、伝えていく中で感じ取ることが一番伝わる方法ですね。
    貴重なご意見、ありがとうございました。

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