Trubu achuar : Ecuador 家から感じたこと


アチュア族の家
柱と屋根だけ
壁も床もない


わたしたちが宿泊したロッジ

高床式でベットも柱にマットが敷かれ蚊帳で包まれているのみ

4泊した。

到着したときに思ったの
あぁ、壁を作っていったのは人間なんだなって。

外側へ向かっていったのは人間。

外と隔たりのない夜は
それこそ森の夜の活発さ加減を肌で感じらるものだった。


虫 鳥 動物
互いに呼び合っている


葉が擦れ合う音の横に感じる
気配

何かがいる

そんなのを感じていた
でもいやじゃない
声も音も気配もそこにいるんだよ
というのをお知らせしてくれているようだった。

壁がないと
いつも誰かや何かの気配を感じられていて
言葉を交わさなくても
どこか安堵を感じていた。

それは次に移ったロッジが壁の個室であったため
よけいに感じられる結果となった。

私たちは
いつから壁を作るようになり
なぜ壁を作るようになったのだろう。

壁ができることで
プライバシーというのができ
人の中にも壁ができるようになった。

そこで思ったのが
感覚の多様化。

壁ができれば家の中は温かい
風が通らない
外の音も聞こえない

快適が広がり
心地よさの感覚が多様化していった。

私たちが感じるフワフワのソファーが気持ちいいと感じるのは
彼らにとって丸太の上で坐っているのとなんら変わりのない感覚であるということ。

感覚が多様化することで
自分の中にあったゆるぎない感覚から遠くなればなるほど
人は自分の中に壁を作っていってしまうということ。

情報源ひとつをとっても
夢を現実と捉えることが当初は不思議に思えていたけれど
そこに居てわかった。

それしか情報源がない。

空の雲を読む
森からの声を聴く
気配を肌で感じる
夢のお告げ

彼らはそれらを信じているし
それ以外のオプションも必要としていないし
求めていない。

ゆるぎないものから遠のいてしまったのは誰なのか
いつしか本の中から見出したり
頭の中で考えたり
論理的でないと
その感覚を信じられなくなってしまったのは誰なのか。

資本の社会を横目に知りながらも
自分たちの暮らしに誇りを持ち
資本も必要なことだけ取入れようとしている彼らの暮らしは
まさに支配されていないなと感じた。






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